ぶらり庵【日本空手道松濤會】

日本空手道松濤會の「ぶらり庵」です。東京都千代田区で、子供から女性まで気軽にぶらりと参加できる空手やってます。

Q&A

Q.空手って、瓦割るんでしょ?

回答

 空手の話をするときに、一番先に必ず聞かれる問いです。私たちのぶらり庵で稽古している門人さんたちも、空手の稽古をしていると人にいうと、必ずこの問いに出くわすそうです。それほど、皆さんは「空手」というと、イコール屈強な男性が瓦を割っている図を思い起こすようですね。
 私たち松濤會の空手は全く違います。私たちは、日々の稽古で一撃で人をどうやって倒せるのか、それだけを追求しています。自分たちの「突き」が「蹴り」がどうやったら効くのかを毎日毎日ひたすら稽古しています。だから、人ではない瓦にも、板にも、石にも興味はありません。私たちが目指しているのは、どうやったら自分の体を武器にして人を倒すことができるのか、求めるのはその道だけなのです。

Q.ケンカが強くなりますか?

回答

 ケンカに限らず、強くなるのでしょうが、武道をたしなむとそもそも、ケンカというよなものには興味はなくなります。 人を倒すことを目的として技を磨きながらケンカに興味がなくなるというのは矛盾しているようですが、武道はもともと自分の鍛錬のために行うものなのです。
一撃で相手を倒す事を目標に苦しい稽古を重ねますが、実際にそれを使うような人生を送ってはならない。 これが武道の精神です。

Q.空手の流派、いっぱいあるけどどう違うの?

回答

漢字から横文字まで流派はいろいろあります。我が松濤會と同じく「松濤」の文字が入っている流派だけでも相当数あります。しかし、星の数ほど流派があっても、大きく分ければ私たちの日本空手道松濤會とそれ以外のたった二つの区別しか重要ではないのです。要は試合を許すか許さないかそれだけの違いなのです。試合をしている流派の中で、顔を突かないとか突いてもいいとか、防具をつけるとかつけないとか、寸止めをするとかしないとかいろいろな違いはあるのでしょうが、それはルールの程度の問題であり、試合を許す許さないという違いに比べればたいした問題ではありません。
私たち松濤會は、空手が競技スポーツへの道を歩むことを徹底して禁じ、それを創立以来70余年ひたすらに守っております。

Q.なんで試合しないの?

回答

 まず、物理的にできないのです。空手道はいかなる場面に遭遇したときでも、自分の体そのものを武器として、相手と対峙することを基本としています。ですから、素面素小手(防具等をいっさいつけない)、急所を最後まで突ききる(当然寸止めはしません)ことが動きとして絶対です。しかしそうなると、殺し合いになってしまうため、試合のルールがなりたたないのです。
 それに何より、武道は人との比較を禁じます。人と比較して自分を優位に思うことを慢心として禁じ、人と比較して自分を卑下することを卑慢として禁じ、最後には他人と正しく自分の力量を比較することさえ禁じます。つまり、自分と向き合い、自分と戦うこと以外の「他者との比較」そのものを禁じているのです。

Q.じゃあどんな稽古するの?

回答

 もちろん、実際に稽古で殺し合いをするわけではありません。立ち方、座り方、礼儀などの立ち居振る舞いから始まり、基本の突き、蹴り、受けなどの稽古があり、それらを総合的に完成させた型の稽古が行われます。また、実際のイメージをつかむために組み手の稽古もありますが、組み手は基本的には下位段者あるいは初心者から、上位段者あるいは上級者に対してしか攻撃技を仕掛けませんので、危険はありません。また、突きにしても中段なのか上段なのかなど、約束をしての組み手ですので、けんか組み手になることはありません。いずれもひたすら自分自身の鍛錬のためです。
 また、体を作るために棍(6尺棒)の稽古や、体裁きを覚えるために木刀の稽古なども積極的にとりいれております。

Q.女性や子供でもできるの?

回答

 もちろん、空手に老若男女の区別はありません。子供には子供の、女性には女性の、男性には男性の、年配者には年配者の稽古があります。そうでなくては、空手道は屈強な若者だけの特殊な競技になってしまいます。武道は今その人がおかれている状況下で、その人の体力を最大限活用して、人としてどのような動きが可能かを求めていくところに醍醐味があるのです。ぶらり庵では、女性と未就学児を含めた子供達がたくさん稽古しています。